当事者研究 @ ブックカフェvol.1

今回の当事者研究はみらい館ブックカフェでオープンなミーティングにトライしてみました。

参加してくれたみなさま、お疲れさまでした。

 

読書パートは『べてるの家の「当事者研究」』から「自己虐待の研究」を。

感想を述べる時間があまり取れず残念でしたが、自傷しても腫れ物のように扱われない、失踪しても探されない、自分が引き起こした問題は自分で担う、という「治療」のことや、自分が自分役に向かって声をかけるSSTなどが、印象に残る話でした。

ここで出て来たのと同じような「治療」は別にべてるでなくても家族や友人の中でも可能ではないかしら?というのが、この会でやりたいことでもあります。

さて、研究ひとつめは、「浪費をやめたい」の研究。

ストレス発散程度のこと?依存症的?

問題意識を持ちにくい「買い物」でも、買うまで頭の中がそれでいっぱいになってしまう買い物は、買ったあとの満足感がなく、次のターゲットを探してしまいます。

強拍的でかりたてられるような「買い物」は、あまり幸せにしてくれなさそうです。

 

・「買いたい!」を考えないでいられるときは?そういう時間があるなら、フォーカスしてみる。

・依存症的なものだとすると、その行動は「自分助け」かもしれない

・単一の依存先ではなく、買い物もあり、他のものもあり…、という分散はできないか。

・副作用の小さい「自分助け(依存)」であれば、OK?

・買い物(金額当たりの満足感や幸せもたらし度)を記録してみて、判定する?

 

などなど、他にもいろんな意見が出てボードに書ききれませんでした。ごめんなさい。

これは、SSTに向くかもしれないので、いつかやってみたいですね。

 

ふたつめは、「何かやらなきゃ」の研究

「何かやらなきゃ!」という思いから、活動を色々していて、他人からも「いろいろやってるよ」と言われても、自分では「何も成せていない」と思う。出かけようとすると、足がすくみ、動けなくなる。 活動やイベントに出かけることに疲弊して、イベントに行かない正当な理由を考える。

 

みんなで話した中で、

・書き出してみると色々活動しているのに、なぜ「何も成せていない」と感じるのか?

というのを掘り下げたところ、

 

・親(や世間)が思う正しい○○像に対する引け目かも?

ということや、

・そういう思いを家でも話せたらいいかもしれない

・家族も”わかりあえない他者”だ、という前提で話せたらいいかも

・家族で当事者研究できたらいいのに

・固定的な家族像や「かくあるべし」を相対化させるためには、第3者が介入したほうがいいよね。

・「医者」とか社会的な肩書きの強い人の意見は親世代は受け入れてもらいやすいかも

 

など、とりとめなく話が盛り上がり(すぎ?)ました。

時間がオーバーしてしまいましたが、これはちょっと途中で切るには惜しい内容でしたので、よかったということにします。

 

みっつめは「元夫とのやりとりがしんどい」の研究

子どもに会うのに元夫に余裕を持って事前に許可をもらう必要があるけれど、

元夫の事務的な文面が脅迫的に感じパニックに陥る。

相談できる人にSOSを出したいけど、いつでもSOS出せるわけでもない。

 

しんどい相手とのコンタクトは

・第三者を介して開ける読むなどの連絡をする、

・第三者に書いてもらう、あるいはCcに入れる、

・弁護士さんやDV相談窓口などの公共の支援先は受けられないか、

・はたまた、相談できる人と相談先を探す、

などの案がでました。

 

 

 

精神的に追いつめられることに関して、現状ではまだまだ「DV」とは認定されにくく、十分の支援が受けにくいかもしれません。

よい情報があったら、コメント欄にお寄せください。

 

次回はいつもの閉じた部屋でのミーティング1月23日(土)@渋谷です。

次回の当事者研究@ブックカフェは2月11日(祝)です。

 

どなたでも参加していただけます。

 

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Comments: 1
  • #1

    ちい (Tuesday, 12 January 2016 20:37)

    なかなか公的な支援にマッチするのって難しいですが、
    こういうところに糸口があるのかしら?
    http://nwsnet.or.jp/friend/where.html