当事者研究ミーティング vol.9

前日には雪の予報も出ていましたが、それほど寒くなく、開催することができました。

以下、会のようすのご報告なのですが、なにぶんひとりの人がまとめるので、個人が受け取った風景になってしまっていることをご容赦ください。「自分の意見拾われてないけど拾って欲しい」とか、「自分が言ってたのは、こうなんだけど」というのがあったら、じゃんじゃんコメントに(ルールの範囲内で)書いてくださいね。

 

読書パートは、『べてるの家の「当事者研究」』から、15章「わたしはこの仕事に人生をかけない」を読みました。

・"「体は医療職、心は心理職」と、体と心にバラバラに向き合うイメージだったものが、心は体そのものであると感じる。"というのが印象的。

 

・「弱さを絆に」できる医療チームの例が出て来たが、枠組みだけではなかなかそうならなそう、何か書かれていないことがありそう。

 

・"べてるの”成長モデル”では、絶対的な限界が伸びたり成長したりしない。結果として、成長する人がいるかもしれないが、それはそれでいい。"とあるが、結果が伴わないと落ち込むし、できないことにはなかなか○をつけられない。

 

・結果や成果を求めがちだけど、結果が伴わない類いのことは、プロセスそのものを目的/目標とするといいのかも?

 

・自分が結果を動かせる/工夫する余地があることは、特に「他人を助けること」においては「他人が助かったこと」そのものよりも、自己効力感・満足感・充実感を得ることができるが、自分がそれに自覚的になっているかどうか、が「私はあなたとの関係に寄りかからない」という"わきまえ"なのかも知れない。

 

・”この仕事に人生をかけないというわきまえ” について

一生懸命やっていればいるほど仕事のことで頭がいっぱいになる、仕事にのめりこむ、というのはありそう。疲れているときほど問題ごとから離れようとしない(その結果、問題ごとにまきまれてしまう)、余裕があるときには問題ごとから離れて観察できる(その結果、問題ごとにうまく対処できる)、ということがあるから、それがここでの”わきまえ”に近いのかも。

 

などなどの感想が出ました。(うまく拾いきれていませんが、すみません。)

 

本日の研究第1弾は「行きたかったはずのイベントに行けないで落ち込む」の研究です。

行きたいイベントのはずなのに、直前には色んな理由をあれこれ考えついて、行けなかったり行かなかったりする。(自分が行かないと決めたのなら落ち込まなくていいはずなのに)ああ、行けなかった…と落ち込む。というものです。

 

・行ったときの自分が何かしてるイメージが具体的にわからないものは、行けないことが多い。

・逆に、行ったときのイメージが具体的である、個人的な用事や関わりがあることであれば、行けることが多い。

・「xxさんにあの話をしよう」というような個人的で具体的な用事をひもづけておくのはどう?

・行けなかったときに生じるしんどさ(断りの連絡を入れる・行けなかったことで落ち込むなど)も、あまり具体的にイメージしていないかも。

・それを考えると、「それくらいなら行こう」となるかも。

・行けなかったときの落ち込みには "サンクコスト(埋没費用)" の考え方は使えるかも?

 

などなどの発見があり、面白かったです。

 

第2弾は「家でやる気スイッチが入らない=干物モード」の研究

職場では(否応なしに)仕事モード、外なら勉強できる、だけど家ではやる気スイッチはいつまでも入らない、部屋からほとんど出ていけない。というものです。

 

それなら外で勉強したらいいのでは、と思いますよね?

でも、外でやるためには出かけなくてはならず、外に出かけるためにはやる気が出なくては出かける準備ができず…というトラップがありました。なるほど!

 

こまめにアラームかけたら?って思いますよね?

でも、「モノよりも自分の方が立場が上」なので、アラームさんが仰ることを罪悪感なしに無視することが可能なのです。ざんねん。そうか、それでリマインダーやアラームの数々は日々無視されていたのか…。

 

・ご褒美タイムまでふくめてアラームしては?

とか、

・タスクリストをプライベートでもつくっているよ。

とか、

・同居人がいる場合は、同居人の音や声などがきっかけになって、否応無しに外の世界に連れ出されてる。

という声が。

 

他人や社会(世界)が外からせまってきて「無理に起こされる」とか、「否応無しに何かしなければいけなくなる」って、とてつもなく嫌なことっぽいですが、それによって・朝起きる・ご飯食べる・出かける・お風呂はいる、というような生活のより身体的な部分が一定の水準に保たれているようなところもありますね。そして、より身体的なケアができていると調子よかったりしますよね。

 

でも、それなら一人暮らしの人は?人と住まないと無理なんでしょうか?

というところから、

・ルームシェアなどで他人の生活音などのシグナルを積極的に受け取る、

・モーニングコールを「かける」方になるのは?

・(アラームのようには)無視できない相手なら、同居人とおなじ効果があるかも?

という話がでました。

 

さて第3弾は「子どものことで先の不安を先取りして思い悩む」の研究です。

人にはなかなか打ち明けられない問題ごとが複数重なっている中、その不安を思い悩んでいる、というものでした。

 

・不安や問題ごとをアウトプットすることで、問題ごと自体が解決しなくても、いくぶん軽くなったり、がんじがらめになっていた辛さから開放されるようなことも期待できるので、同じことを繰り返し何度でも言っていい場、というのがあると楽かも知れない。

・アウトプットは、ノートに書き出してもいいけど、受け取る人がある方が効果高そう。

ノートのようにすべてを受け取るが何も返さない存在ではなく、なにごとか喋ったりする存在、しかも、アドバイスや批判をしてこない安全な受け取り手

 

・アウトプットの受取手を色々(安全度が高い順に)

 1.ノート

  :モノローグ。すべてを受け取る存在。考えをまとめるには適していそう。ひとりミーティング。

 2.カウンセラー

  :うんうんと聞いて自分が言ったことをくり返してくれる。ひとりミーティングを他人とやっている感じ。

 3.twitter

  :言いっぱなし聞きっぱなし。自分とは違う他者が発言しているのを聞いている感じ。フォロー関係をしがらみなく自由にコントロールできるので、安全な受取手を確保可能。

 4.セルフヘルプグループ

  :言いっぱなし聞きっぱなしが担保されている会では、違う認知をもった安全な受取手からの応答がある。安全度はグループによるかも。

 5.知り合いや友人

  :安全かどうか?気まずくなるかも?など判断しにくい要素多し。

 5.ブログやFacebookへの投稿

  :「社会的公式発言」。困りごとや問題ごとのアウトプットには向かないかも

  

・大きな問題全体はとても言えない/分かってくれなそうにない人でも、小分けに切り出した部分だけ(お惣菜が…とか)なら言えるかも。背景にある色々には触れずに。

・なんなら、問題ごとの小分けした部分を、さらに問題の本筋ではないことに変えたものを人に話してみてもいいかも。「ダメージなしに安全な範囲で人に言う」ことができるので、「アウトプットする」ということが可能になる。

・ネタにすることが可能なら、本当に大変なこと辛いことでも、大丈夫になることがある。

 

というようなことが出ました。

 

第4弾は「「会なんてどうでもいいや」スタンスで飄々と参加のはずが、会の存亡に深くコミットしてしまうのがしんどい」の研究

仕事に一生懸命になるとのめり込んでしまう=仕事上の問題ごとに取り込まれてしまう、

というのと似ているかもしれません。

会のことに一生懸命になるとのめり込む=そこでの問題ごとに取り込まれてしまう、という感じでしょうか。

「そこの問題ごとにコミットしてもいいじゃん」という考え方もなくはないですが、本来の参加目的から離れてしまう、一生懸命にやったところで得るものがあまりなさそうに感じる、ということでした。

 

うーん、なるほど。

色々言いあったのですが、まとまらないのでボードを見てください。

 

問題ごとが感じられたときに、その問題ごとをについてそこにいる人で話せる場、でいたいと思いました。(自戒をこめて)

 

 

次回は2月11日@大明みらい館ブックカフェ(いつもよりさらにオープンな感じです)

2月20日@がんばれ子供村

です。どなたでも参加できます。

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Comments: 1
  • #1

    ちい (Sunday, 24 January 2016 12:46)

    追記:自閉症スペクトラムなど見えない障害の診断について話されたこと

    ・困りごとにとりあえずでも名前がつけられることによって、対処する相手がわかる、というご利益がある。
    ・困っていることがあるならば、診断を受けることによって、受けられる支援や対処のしかたに繋がりやすい。
    ・環境要因と遺伝要因の割合について、その真の比率を知ることは不可能。他の多くの多因子疾患や身長・視力などがそうであるように。